7基の台場は今どこに?幕末、江戸防衛のために建設された海上要塞「品川台場」の過去と今 (1/4ページ)

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7基の台場は今どこに?幕末、江戸防衛のために建設された海上要塞「品川台場」の過去と今

東京湾にぽつんと浮かぶ2つ島。もとは江戸幕府が黒船来航後に建設した7つの海上要塞(通称「品川台場」)で、現在はそのうちの2つが残っている。

急ピッチで建設が進められた台場だが、結局一度も砲台としての役目を果たすことなく、姿を消していった。

江戸を守るための海上要塞 品川台場とは

嘉永6年(1853)、マシュー・ペリー率いるアメリカ東インド艦隊の艦船四隻が浦賀沖に来航した。真っ黒く大きなその船には外輪が付き、煙突からはもくもくと煙が上がっていた。

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それ以前に日本に来航したロシアやイギリスの船とは全く違う、今までに見たこともない艦船を当時の日本人は「黒船」と呼んだ。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)たつた四杯で夜も眠れず」と誰かが詠んだように、アメリカの独立記念日に合わせて黒船が発射した一発目の祝砲に江戸は大騒ぎとなった。

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