部下のためなら馬糞くらい…武士道バイブル『葉隠』が伝える戦国武将・甘利信忠の将器 (2/3ページ)

Japaaan


※『葉隠』巻第十より

【意訳】
武田信玄(たけだ しんげん)の部将・甘利備前守虎泰(あまり びぜんのかみ とらやす)が討死した際、その子である藤蔵(信忠)は当時十八歳の若武者ながら、父の与力たちを元通りに束ね上げた。
その配下(組の内)の者が戦闘で重傷を負ってしまい、治療しても出血が止まらない。藤蔵は古老の知恵を思い出し、葦毛馬の馬糞を煮て飲ませるように指示。
果たして煮上がったところ、その者は「命惜しさに馬糞の煮汁を飲んだとあれば、後世の物笑いとなりましょう」などと言って拒絶する。
藤蔵はその言葉を聞いて「流石あっぱれな勇士だけに、言うことは道理である。しかしここは戦さ場であるから、名誉ある討死よりも、生きて御屋形様に勝利を奉げることこそ忠臣の務めと言えよう。まずはわしが飲んでみせるから、そなたも早う飲んで傷を治すのじゃ」と、半分ほど飲んで残りを渡すと、その者も飲んでやがて回復したという。

この話が実話だとすると、甘利虎泰(とらやす)が討死したのは天文17年(1548年)の上田原合戦ですから、当時18歳の藤蔵は遡って享禄4年(1531年)生まれとなります。

現代なら18歳と言えば(法律上はともかく)子供にしか見えませんが、当時は13~15歳で元服、とうに初陣を飾って数々の修羅場をくぐり抜けていてもおかしくない年齢ですから、若くして父が遺した家臣団を束ね上げる将器を備え上げていたのでしょう。

葦毛馬の糞がよいらしいが、鹿毛馬のでは駄目なのか。

「部下のためなら馬糞くらい…武士道バイブル『葉隠』が伝える戦国武将・甘利信忠の将器」のページです。デイリーニュースオンラインは、雑兵物語甘利信忠武田氏葉隠武田二十四将カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る