追善供養は故人だけでなく自分が亡くなったときのためでもあった (2/2ページ)

心に残る家族葬



だから決して、遺族に自分の供養はしなくてもいいから、なんてことは言ってはいけない。特に四十九日は、法要のなかでも一番知られている供養であるがこれをもって忌明けとなることがほとんどで、故人の冥福を祈って喪に服していた期間を終えるのである。

しかし、上記を見ていただくと、この時点でまだ裁判を行った王は7人であり、まだ、3人の審査がこれから行われるのだ。

100日目  平等王(びょうどうおう)  遺族の貪欲の罪  百カ日(ひゃっかにち)
1年目  都市王(としおう)  罪によっては地獄に  一周忌
3年目  五道輪転王(ごどうりんてんおう)  六道先での悪事  三回忌

特に、100日目の裁判内容をみていただきたい。なんと、遺族の貪欲の罪が咎められるのである。しっかりと法要を行うことで故人と遺族の来世での安楽を願うことができるのである。


■追善供養は「心の積み立て貯金」

初七日からはじまりその後の節目に行われる法要は、三十三回忌もしくは五十回忌を最後に弔い上げとすることが多い。そして故人の供養を行うことは、遺された生きる者のためでもある。このように、故人の死後の世界での幸福を願って行う供養は、私たちのこの世での善を故人に送っていると同時に、私たちがあの世の行ったときのための徳を積んでいるのだ。

初七日以降の四十九日までの間や、三回忌以降の法要に関しては、なかなか行えない方が多いのではないだろうか。しかし、法要でなくともできる限りの供養を行うことは、故人だけではなくご自身の徳の積み上げともなる。

これを私は「心の積み立て貯金」と表現してみたのである。たくさん集めるとそれだけ恩恵を受けることができるように、あの世で生まれ変わるときにも貯金として使用できるのである。たとえ、十王による数々の審判で点数を引かれても貯金で取り戻せるかもしれない。万人に仏教が広まったのも、このような考え方があるからではないだろうか。そして、三回忌以降も年忌法要は行われるのでぜひ、追善供養を行い貯金をためていきたい。ただし、この預金口座は本人限定である故、絶対に人に譲渡したりすることはできないので注意である。

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