西武選手の余計な一言に監督が激怒! 直後から野球人生が暗転、球史に残る致命的な大失言 (2/2ページ)

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 すると、江夏氏は大阪遠征が終わった直後に突然二軍に落とされ、その後シーズン終了まで一軍から声はかからず。広岡監督から完全に干された形となった江夏氏は大いに失望し、同年オフに西武に退団を申し入れそのまま現役引退を表明した。

 引退後の江夏氏は名球会などの計らいで翌1985年1月に行われた引退試合に臨み、その場でMLB挑戦の意思を表明。実際に同年3月にブルワーズの春季キャンプに参加し開幕ロースター入りまであと一歩に迫るも、36歳という年齢もネックとなりメジャー昇格はならず、同年4月に帰国し完全に引退した。

 食事の席での失言が引退の引き金となった形の江夏氏だが、広岡監督にここまで問題視されたのは西武入団の経緯も関係しているとされている。江夏氏は1983年12月に柴田保光、木村広との交換トレードで日本ハムから西武にトレード移籍したが、広岡監督はこのトレードを知らされていなかったため、若手投手2名を勝手に放出された原因になった江夏氏を加入当初から煙たがっていたという。

 なお、後年の江夏氏はメディアのインタビューなどで度々西武時代を振り返っているが、広岡監督に対しては「人間的に許せないところがあった」、「日ハムから西武へトレードになったのが運の尽き」、「練習中に帽子をかぶれ、ストッキングを履け(と常々言われた)。学生野球じゃねえぞこのバカ野郎」と溝の深さを感じさせるコメントを口にしている。

 広岡監督への失言からは、今年で約37年が経過している江夏氏。ただ、歯に衣着せぬ物言いは当時からほとんど変わっていないのかもしれない。

文 / 柴田雅人
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