逆賊とされた蘇我入鹿を祀る神社が奈良橿原にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】 (2/5ページ)

Japaaan

入鹿を語る時、「645」という数字は大きな意味を持ちます。もちろん、この数字を聞くと、歴史好きの皆さんはすぐに「ピンとくる」のでないでしょうか。

そうです、西暦645年は、日本古代史上を揺るがす大事件である大化の改新(蘇我蝦夷・入鹿父子を滅亡させた事件を乙巳の変といい、その後の政治改革を大化の改新と称する)が起きた年です。

中大兄皇子や中臣鎌足らが、飛鳥板葺宮で蘇我入鹿を殺害。さらに、兵をもって甘樫丘の麓にあった入鹿の父・蝦夷の邸宅を囲み、蝦夷を自害させ、蘇我本宗(本流)家を滅亡させました。

この事件を契機に天皇家(大王家)が中心になり、日本が律令(法律・刑罰)を備えた中央集権国家としてスタートを切る、そんなきっかけとなったといわれる出来事なのです。

大化の改新の歴史的な意義や真実の考察は別の機会に譲るとして、この事件で暗殺された、蘇我入鹿について簡単に触れてみましょう。

【古墳時代以前から続くとされる有力豪族・蘇我氏】

入鹿は、西暦611年頃に生まれたと考えられています。蘇我氏は、古墳時代以前から続くとされる有力豪族ですが、歴史上で存在が確実視されるのは、入鹿の曾祖父である稲目からと考えられます。

稲目から馬子-蝦夷-入鹿と4台にわたり本宗家の血筋は続き、稲目と馬子は、それぞれ自分の娘を天皇に嫁がせ、いわゆる外戚として大きな権力を握りました。

二人の権力を引き継いだ、蝦夷、入鹿も蘇我氏系の大王の血縁者として勢力を振るいます。

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