逆賊とされた蘇我入鹿を祀る神社が奈良橿原にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】 (3/5ページ)

Japaaan

蝦夷は、妹の法提郎女が嫁いだ欽明天皇をバックに、そして入鹿は二人の子であり皇位継承No.1の地位にあった古人大兄皇子を後見することで、ヤマト政権内で最高権力者としての地位を固めたのでした。

乙巳の変の舞台となった飛鳥宮(板葺宮・浄御原宮)の復元井戸跡。(写真:Wikipedia) 

蘇我入鹿に対する本当の評価

 明日香村にある蘇我入鹿首塚と蘇我氏邸宅があった甘樫丘。(写真:T.TAKANO)

大化の改新で中大兄皇子らに討たれた蘇我入鹿の歴史的な評価蘇我氏の全体像を踏まえて、少々触れてみたいと思います。

蘇我氏本宗家(稲目から入鹿)が生きた時代、中国では律令を国の基準とした国家である、隋から唐へ王朝が変わる時代でした。こうした動きは、中国から朝鮮半島を経て日本へも大きな影響を与えたのです。

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