逆賊とされた蘇我入鹿を祀る神社が奈良橿原にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】 (4/5ページ)
特に、隋・唐が用いた律令制は、豪族の連合政権であったヤマト政権の国家運営に根本的な変革を促したのは間違いないでしょう。
蘇我氏は、朝鮮半島からの帰化人である渡来人と密接な関係を築いた氏族といわれています。蘇我氏が、律令制に通じた渡来人を起用して、中央集権的な官司制の確立を目指したと考えても、何の不思議もないでしょう。
その政策が、馬子・蝦夷・入鹿と受け継がれたのです。この点に関しては、中大兄皇子(天智天皇)らの改新政府が推進した政策と何ら変わることがないのにお気づきでしょうか。そうです、開明的な蘇我氏こそが大化の改新の先達的な役割を果たしたのです。
入鹿の祖父・蘇我馬子が発願した日本最古の寺院・飛鳥寺。(写真:T.TAKANO)
蘇我入鹿について、藤原鎌足・武智麻呂らの事績を記した『藤氏家伝』は、次のように記しています。
旻法師、大臣に語りて曰く、吾堂に入る者、蘇我太郎に如くものなし
旻法師とは、遣隋使に同行して入隋、帰国したのちは改新政府の政治ブレーンとして、朝廷から信頼を集めた学者僧の旻のことです。
その僧旻が、自分の開いた私塾(吾堂)に学ぶ者の中で、蘇我太郎(入鹿)に及ぶものがないと讃えていたのです。