諡号・追号に徳の文字が贈られた歴代天皇の隠されたある共通点 (1/2ページ)

心に残る家族葬

諡号・追号に徳の文字が贈られた歴代天皇の隠されたある共通点

明治天皇、昭和天皇・・・これはたまたま和暦が使用されているが、もし前天皇の明仁上皇がお亡くなりになったからといって、平成天皇という名前になるとは限らない。本来は死後、その人の生前の功績に対し名前が贈られるもので、これを諡(おくりな)、または諡号(しごう)という。そして、諡は神道においては仏教における戒名にあたる。本日は、過去の天皇や貴人に与えられた諡について調べてみた。

■過去の天皇の名前の由来

生きている間、天皇は「御上(おかみ)」「主上(しゅしょう)」「御門(みかど)」などと呼ばれていた。死後につけられた名前を見ると、天皇の生前の功績や存在意義を知ることができる。天皇に送られる名前には2パターン存在し、1つは諡号(しごう)、もう1つは追号(ついごう)という。諡号は称賛されてつけられる意味合いが強いが、追号は生前の天皇の住んでいた場所などでつけられている。

ここでは、いくつか天皇の名前の由来を紹介する。推古天皇は古(いにしえ)を推し量るという意味でつけられた。古い教訓を今後も生かしていこうという思いでつけられている。平成(へいぜい)天皇は平城京に愛着をもっていた方だったから。そして、神武天皇は神をこえ、人間業以上の武力をもった人という意味で名づけられている。

■徳の文字をもつ天皇には悲しいエピソードがある

実は「徳」の字は、なにかしらの無念を残して亡くなった天皇を弔う意味でつけられているという悲しいエピソードがある。崇徳(すとく)天皇はとても悲惨な人生を送った天皇で日本三大怨霊の一人になった人物である崇徳天皇は、第74代「鳥羽天皇」の子どもであるが、じつは鳥羽天皇の妻と第72代天皇である「白河天皇」との間に生まれた子なのではと言われている。白河天皇は崇徳天皇を可愛がるあまりに、鳥羽天皇を退位させ、崇徳天皇に王位を譲った経緯がある。鳥羽天皇は崇徳天皇を大変嫌っており、その後同じように退位を奪ったり、子供には王位を渡さず、兄弟に渡したりと恨みを晴らしていくことになる。崇徳天皇は最終的に、保元の乱において弟である後白河天皇に負け、配流されてしまう。彼は死ぬ間際に、舌を噛み切って恨みの言葉を血で書き込んでおり、柩からは蓋をしめているのにも関わらず血があふれ出したそうだ。

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