意外に武闘派?継母に復讐を遂げて家督を奪還した戦国大名・足利茶々丸 (4/4ページ)
エピローグ
「畏れ多くも将軍(義澄)の御母堂を弑(しい)した逆賊・茶々丸を討つべし!」
明応2年(1493年)、混乱の続く伊豆国へ伊勢宗瑞が攻め込むと、鈴木繁宗(すずき しげむね)や松下三郎右衛門尉(まつした さぶろうゑもんのじょう)といった伊豆国の豪族たちはこれに寝返り、茶々丸は孤立無援に陥ります。
「最早これまでか……っ!」
従来の説ではここで自刃して果てたと考えられていましたが、実際には捕らわれて伊豆国から追放されたそうです。
その後も伊豆国を奪還するべく奔走したものの、明応7年(1498年)に再び捕らわれ、自害して果てたのでした。
幼くして継母に陥れられ、苦難の果てに復讐を遂げるも人望を失って滅ぼされてしまった茶々丸。彼の行動に非がない訳ではありませんが、その境遇には同情の余地も多分にあり、また宗瑞の引き立て役として暗愚に歪められてしまった感も否めません。
歴史に「~たら、~れば」を持ち出しても意味はないものの、もし円満院や潤童子を殺さず京都へ送っていたら、また粛清してしまった重臣たちをそのまま重用するだけでも、その後の展開は大きく変わったのではないでしょうか。
※参考文献:
石田晴男『戦争の日本史9 応仁・文明の乱』吉川弘文館、2008年6月
杉山一弥『室町幕府の東国政策』思文閣出版、2014年2月
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