アイヌ文化を伝える蝦夷絵(アイヌ絵)に描かれた暮らしぶりと描かれなかった精神性 (3/4ページ)

Japaaan

秦檍麿『蝦夷島奇観(模写:平沢屏山)』

古来、言霊(ことだま、ことたま)と言われるように、言葉にはある種の魔力があり、言葉によって励まされ、勇気づけられることがある一方で、言葉によって傷つけられ、時に死をも選んでしまうほど惑わされてしまう危険性もあります。

ただ口で言うだけなら、やがて記憶も薄らいでいくでしょうが、はっきりと文字に残され、それが半永久的に消えないとなれば、傷つけられた者の苦しみは想像を絶するもの。
また、言葉には嘘や誇張、虚飾が含まれることも少なからずあり、そうした魂のケガレを嫌ったことも、あえて文字を持たなかった一因でしょう。

そんな精神性がアイヌをして文字≒国家を持たせず、近代になって日本・ロシアそれぞれに吸収されていったのですが、弱肉強食の帝国主義世界にあっては、やむなき結果と言うよりありません。

終わりに

さて、そんな経緯で生まれた蝦夷絵はアイヌ絵と呼ばれて現代にその風俗を伝えているものの、アイヌ文化への高い関心が人気を呼んだためか粗製乱造される傾向にあり、その市場は玉石混交。

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