歌人・僧正遍昭と絵師・鈴木春信の心の闇「蓮は泥より出でて泥に染まらず」とは思えなかった? (2/5ページ)
“蓮の葉は、泥水の中に生えながら濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうして葉の上に置く露を玉と見せて人をだますのか”
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉をご存知の方は多いと思いますが、『法華経』という仏教の経典の中では「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」と記されており、これがこの和歌の根底にあります。
釈迦が自ら説法をした『阿弥陀経』の中では
池の中に蓮華あり、大きさ車輪の如し
(阿弥陀経)
とあり、極楽浄土には蓮の花が咲いており、蓮の花は「蓮華の五徳」という極楽浄土に生まれることのできる条件を兼ね備えていると花だとさえ言われているのです。
それを“どうして葉の上に置く露を玉と見せて人をだますのか”と詠うとは、意味の深い歌だと思われます。
しかし、鈴木春信はこの和歌を選んだのです。この和歌に共感する部分があったからではないでしょうか。
浮世絵の内容について絵の内容を見ていくと、揚げ帽子を被った奥女中の女性と思われる人物が二人、石橋の上に立ち蓮の花を眺めています。眺めているというよりは在るものを見ているようでもあります。
季節は梅雨も終わるか終わらぬかという頃で、一人の女性は手に傘を持ち、二人ともが蒸し暑いのか扇子を手にしています。
二人の女性の視線の先を追うと、真下に蓮の葉があります。