義足を付けて舞台へ。幕末、日本で初めて義足をつけた歌舞伎役者「澤村田之助」の生涯 (2/4ページ)
幕末になると、日本に多くの宣教師がやってきましたが、その中の一人であったヘボンも安政6年に横浜へやってくると、東海道の宿場町・神奈川宿に住み、宿内の宗興寺に診療所を開きました。
宣教師であったヘボンの診療は大変評判がよく、その記録によると、一日平均100人の患者を診察したとのことです。ちなみに、ヘボンが来日した安政年間は、長崎からコレラが入ってきて、江戸でも大流行…死者数は3万人にのぼったと言われます。
コレラに打ち勝つだけの医療技術のない当時の日本で、最新の医療を施していたヘボンの診療所には長蛇の列ができたことでしょう。また、文久2年の生麦事件の際には、薩摩藩士によって負傷したマーシャルとクラークを治療する等の実績も残している名医です。
さて、慶應3年(1867)、ヘボンは眼科が専門の医師でしたが、内科の治療や外科手術にも定評があり、澤村田之助の右下腿切断手術に臨みました。その結果、右足膝付近まで足を失いましたが、何と翌年には義足を付けて舞台に復帰しています。
このスピード復帰によって、ヘボンの医療技術は当時の日本の医師たちに大きく衝撃を与えたことでしょう。