公人として死にたいか、私人として死にたいか(森鴎外・志村けん) (2/4ページ)
■森鴎外の残した遺言の全文

余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ
一切秘密無ク交際シタル友ハ
賀古鶴所君ナリコゝニ死ニ
臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ワス
死ハ一切ヲ打チ切ル重大事
件ナリ奈何ナル官権威力ト
雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
余ハ石見人森林太郎トシテ
死セント欲ス宮内省陸軍皆
縁故アレドモ生死別ルゝ瞬間
アラユル外形的取扱匕ヲ辞ス
森林太郎トシテ死セントス
墓ハ森林太郎墓ノ外一
字モ彫ル可カラス書ハ中村不折ニ
依託シ宮内省陸軍ノ榮典
ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続ハ
ソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云
ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ
許サス 大正十一年七月六日
森林太郎言
賀古鶴所書
■私人としての死を望んだ森鴎外
つまり、「森鴎外」として、過去に成し遂げたあらゆる業績、そしてそこで得、なおかつ死後に更に得るであろう栄誉・名誉は捨て去り、石見(いわみ、現・島根県浜田市)出身の「森林太郎」として死にたい。更に墓には、「森林太郎墓」以外の、顕彰的な文字を彫ることはならないと強く求めていたのである。
「鴎外らしさ」に満ちた、一切の無駄や装飾がない硬質な文体ゆえに、後世の文学研究者からは、「鴎外最後の作品」と称された遺言書だが、そこに語られた鴎外の願いは受け入れられ、寺内の墓所には、画家・書家の中村不折(ふせつ、1866〜1943)の手による「森林太郎墓」のみが彫られた墓碑が立っている。
また、昭和28(1953)年7月には、鴎外の故郷である島根県鹿足(かのあし)郡津和野町(つわのちょう)の古刹・永明寺(ようめいじ)にも、鴎外が望んだ形の墓が立てられている。