20,000対763名!戦国武将・高橋紹雲が魅せた武士の心意気と壮絶な最期【上】 (2/4ページ)

Japaaan

キリシタン大名として知られる大友宗麟。Wikipediaより(撮影:大分帰省中氏)

「もう大友は落ち目だ。今の内に島津へ味方して、少しでも恩を売っておこう!」

「時代の流れに乗り遅れて、後から悔やんだって遅いからな!」

とまぁそんな具合に次々と去っていく連中を尻目に、紹雲はあくまでも大友家への忠義を貫く姿勢を崩しませんでした。

「行きたければ行くがよい。他家は知らず、たとえ最後の一人になろうが、わしは忠義をまっとうするまでのこと」

古今東西、目先の利益や一時の命を惜しんで主君を裏切った者が、長く栄えた例しはありません。ならば死を恐れず後世に残る名を惜しんでこそ武士というもの。

かくして島津の魔手が迫る天正14年(1586年)7月12日、紹雲は763名の兵を率いて最前線の岩屋城(現:福岡県太宰府市)に立て籠もり、島津の軍勢2万を迎え撃つのでした。

26倍以上の兵力差を半月も耐え抜く

「御屋形様」

「何じゃ」

すっかり戦闘配備を終えた紹雲に、家臣の一人が進言します。

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