20,000対763名!戦国武将・高橋紹雲が魅せた武士の心意気と壮絶な最期【上】 (3/4ページ)
「ここは守りに難うございますれば、今からでも宝満山(ほうまんざん)へ移られては……」
実はこの岩屋城、高橋家の本拠地である宝満山城の出城であり、守るには不向きな立地となっていました。
「ならぬ。あちらへは、女子供と老人を移しておいた。それを守るためにこそ、我らはここで戦うのじゃ」
「……御屋形様が左様お覚悟なれば、我らもお供仕る」
古来「城攻めには籠城する兵の十倍を要する」と言うものの、紹雲率いる岩屋城の軍勢763名に対して、攻め寄せる島津の軍勢はおよそ2万。26倍以上の兵力差ともなれば、勝負は一瞬でついてしまうでしょう。
事実、島津の大将・島津忠長(ただなが。義久の従弟)は一日で攻略できると思っていたようですが、いざ合戦が始まるとこれが大苦戦。
およそ半月にもわたる戦闘で甚大な被害を出し、攻めあぐねた忠長は3度(※)にわたって降伏勧告を出しました。
(※)これに加えて、味方からも2回「城を捨てて撤退すべし」との旨で勧告を受けていますが、紹雲はそれも丁重に断っています。