20,000対763名!戦国武将・高橋紹雲が魅せた武士の心意気と壮絶な最期【上】 (1/4ページ)
羽振りのよい時は鬱陶しいくらいすり寄ってくるくせに、ひとたび運が尽きたとなれば、たちまち手のひらを返して恥じない輩の、まぁ実に多いことでしょうか。
まぁ人間そんなものだからこそ、忠義とか誠意なんてものが声高に叫ばれ、最後の最後まで裏切らない者が高く評価されるのですが……。
今回はそんな一人、九州が誇る戦国武将・高橋紹雲(たかはし じょううん)のエピソードを紹介したいと思います。
衰運の大友家を必死に支える髙橋紹雲は天文17年(1548年)、豊後国(現:大分県)の戦国武将・吉弘鑑理(よしひろ あきまさ)の次男として生まれました。
初名は孫七郎(まごしちろう)。元服して鎮理(しげまさ)と改名、13歳で初陣を飾って以来、大友義鎮(おおとも よししげ。大友宗麟)の部将として数々の武功を立てます(紹雲は出家後の名前です)。
しかし、大友家は薩摩国(現:鹿児島県)の島津義久(しまづ よしひさ)に敗れてより衰運はなはだしく、多くの家臣が島津に寝返ってしまいました。