このイケメン武士、何者?戊辰戦争で活躍した上田甚五右衛門のエピソード【上】 (3/5ページ)
財政再建によって海防強化を推進、イギリス式の軍制や装備を充実させます。
そんな実績が買われたのか、文久2年(1863年)12月には幕府の軍制改革として新設された海軍総裁と陸軍総裁(どちらも最高職)を兼務で任命されました。
誠に結構ではあるものの、総裁としての格式を保つための出費があまりに膨大だったため、徳島藩の財政が破綻寸前まで追い込まれてしまい、どちらも短期間で辞任しています。
もしかしたら、徳川将軍家の血を引いていながら討幕派に与したのは、こういう硬直しきった組織体質の限界を感じていたのが理由かも知れません。
さて、ペリーの黒船来航に代表される欧米列強の脅威に対して、日本はどのように立ち向かうべきか……幕府(佐幕)か朝廷(尊王攘夷)か、あるいは両者(公武合体)か……日本中で議論が湧き起こる中、徳島藩においても意見が割れていました。