武士の誠を見届けよ!幕末「神戸事件」の責任を一人で背負い切腹した滝善三郎のエピソード【上】 (2/5ページ)
真っ赤な誠意、ここでは血みどろの内臓)を示せぬではないか!という古風な武士も少なからずおり、彼らの美学が外国人たちにトラウマを植えつけることになるのです。
今回は幕末、「神戸事件」の責任を一身に引き受け、古式ゆかしく見事な切腹を仕遂げた滝善三郎(たき ぜんざぶろう)のエピソードを紹介したいと思います。
文武両道の秀才、仕事も家庭も順調だったが……滝善三郎は江戸時代後期の天保8年(1837年)8月21日、岡山藩の砲術師範を務める滝助六郎正臣(すけろくろう まさおみ)の次男として津高郡金川村(現:岡山県岡山市)に生まれました。
幼くして父を亡くし、兄・滝源六郎(げんろくろう)や村の神官たちから教育を受け、一刀流剣術や萩野流砲術、槍術などを修めた一方、漢籍や国風(くにぶり。和歌をはじめ日本文化)にも嗜みの深い文武両道の士に成長します。
嘉永6年(1853年)に17歳で元服して正信(まさのぶ)と改名、岡山藩家老・日置帯刀(へき たてわき。忠尚)の小姓に取り立てられました。