武士の誠を見届けよ!幕末「神戸事件」の責任を一人で背負い切腹した滝善三郎のエピソード【上】 (3/5ページ)
「さっそくじゃが、上洛して広く世を見聞し、また修行を積んで参れ」
「ははあ」
かくして兄と共に京都へ上り、10年ほど文武の修行に励んだ善三郎でしたが、母の病気をキッカケに帰郷。尾瀬家より妻を迎え、長男の滝成太郎(しげたろう)と長女のいわを授かります。
「世継ぎも生まれて我が家も安泰。ますます忠勤に励まねばのぅ」
仕事は順調、家庭も円満。まさに幸せの絶頂にあった滝家を、幕末の風雲が吹き荒れようとしていたのでした。
無礼なフランス水兵を咎め、銃撃戦に発展後世に言う「神戸事件」が起こったのは慶応4年(1868年)1月11日。
徳川幕府(※大政奉還しているため、厳密には旧幕府軍)を討伐する戊辰戦争(ぼしんせんそう)の勃発直後、新政府軍は敵方を牽制するべく、岡山藩に対して摂津国西宮(現:兵庫県西宮市)の警備を命じます。
さっそく岡山藩は兵2,000を進め、善三郎も源六郎と共に主君・日置帯刀の率いる大砲部隊に所属していました。
事件は岡山藩兵の隊列が神戸三宮神社(現:神戸市中央区)に差し掛かった時、2名のフランス水兵が前を横切ろうとしたことがキッカケで発生。
これは供割(ともわり)と言って非常に無礼な行為であり、武士たちとしては絶対に許しがたい暴挙と言えます。