江戸時代、どこよりも早くワクチン接種を敢行!天然痘の抑え込みに成功した佐賀藩主・鍋島直正に学ぶ (4/6ページ)
そして、直正が藩主に就任して15年が経った頃、佐賀藩で天然痘が流行します。
そこで、直正は侍医の伊藤玄朴の進言を受け入れ、領民に種痘を行うことを決意します。元々、西洋の技術に明るかった直正は長崎にいる藩医・楢林宗建に命じ牛痘苗(ワクチン)を入手するよう命じます。
しかし、ここで一つの問題が…
これよりも以前、ジェンナーの開発をした牛痘接種法は、オランダ商館長・ズーフによって、享和3年(1803)に日本に紹介されていました。ところが、海外との輸送手段が船のみの時代、ヨーロッパで作られた牛痘の膿は日本までの長旅には耐えられず死滅してしまいました。
実際に、シーボルトも牛痘ワクチンを持って来日するものの失敗に終わっています。
膿ではなく保存のきくかさぶたを利用そこで、楢林宗建は、日本で行われていた人痘接種法が天然痘患者のかさぶたの粉末を使って接種していることからヒントを得て、膿ではなく保存のきくかさぶたで運んでくるよう、オランダ商館長・モーニッケにお願いしました。
斯くして、宗建の仮説通り、ワクチンは死滅することなく、ヨーロッパから無事に長崎まで運び込まれました。