討幕への口火に!黒幕・西郷隆盛が仕組んだ薩摩屋敷焼打ち事件とは【薩摩藩邸焼打ち事件の真相編】 (2/5ページ)

Japaaan

あろうことか、徳川慶喜が復権を遂げようとしているのだ。

このままでは、政治首班を慶喜に奪われる。だが、じりじりと追い詰められていく中で、旧幕府が暴発してくれたのである。そして、そのきっかけとなったのが、西郷が用意周到に準備した工作により起きた「薩摩藩邸焼打ち事件」であったとは……。西郷にとってはまさに「してやったり」とほくそ笑む思いであったろう。

薩摩藩邸焼打ち事件の真相

では、「薩摩藩邸焼打ち事件」とはどのようなものであったのか。その目的は、旧幕府の本拠・江戸で騒乱を起こし、それがやがて戦争に発展するように画策した工作であった。

すなわち、将軍のおひざ元である江戸をかき回すことにより、江戸城にいる主戦派を刺激し、無理やりに内戦状態に持ち込もうとしたのだ。

ただ、武士らしく真っ向から旧幕府と対峙するのではない。その真相は、罪のない町民まで巻き込んだ無差別テロを繰り返す攪乱行為だった。

西郷の意を受けた薩摩藩士益満休之助と薩摩陪臣伊牟田尚平が、江戸に潜入したのは、1867(慶應3)年の10月頃であった。

薩摩藩出身の第13代将軍家定正室の「天璋院様御守護」という名目で、諸国の浪人500人を集め浪士隊を組織したのである。その中には、後に赤報隊を率いることになる相楽総三も幹部として加わっていた。

ただ、天璋院篤子の守護など、ただの名目であったことは、その後の浪士隊の行動で判明する。以下に、薩摩浪士隊の起こした主な事件を挙げてみよう。

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