肝硬変で42歳で亡くなった水原弘とちあきなおみの「夜へ急ぐ人」 (2/5ページ)
最近はクラブ、キャバレーを中心に全国をまわり、6月23日、巡業先の山口県下関市のクラブで仕事をした後、(福岡県)北九州市小倉北区のホテルに宿泊、24日未明、吐血、意識不明となり、救急車で病院に運ばれた。
関係者の話によると、今年が歌手生活20周年ということで秋にブラジル公演、日本縦断コンサートをする予定だった。
■デビューから一気にスターダムへと駆け上った水原弘
永六輔(えい・ろくすけ、1933〜2016)作詞、中村八大(なかむら・はちだい、1931〜1992)作曲の『黒い花びら』だが、正統派の歌唱法プラス、水原ならではの、艶があってどこかやさぐれた「低音の魅力」と相まって、大ヒットの末、第1回日本レコード大賞を受賞した。
水原としては、長い不遇の時を経てからのヒットではなく、デビュー曲でいきなり「天下を取った」と、舞い上がってしまったのだろう。しかし同時代の、例えば「映画スター」の石原裕次郎(1934〜1987)や読売ジャイアンツの長嶋茂雄(1936〜)ほどの、いわゆる「国民的人気」を博したわけではなかった。しかも「歌手」という立場だけで考えると、フランク永井(1932〜2008)は既に、『夜霧の第二国道』(1957年)、『有楽町で逢いましょう』(1957)、『羽田発7時50分』(1958)…など、立て続けに多くのヒットを飛ばしていたからだ。
こうした状況、そして自分の「成功」の要因を冷静に見極められない。更には自分の成功は、自分だけで実現できたと錯覚できてしまう。そしてその錯覚から発するエネルギーによって、スターの魅力を放つのではないか、と、水原の評伝『黒い花びら』(2001年)を著した作家の村松友視(1940〜)は分析している。
■豪遊を尽くした水原弘
しかも水原は、ただうぬぼれていただけではなかった。ステージを降りた後には、彼の歌の世界観、「夜のムード」「黒ブーム」通りの生活を送ったのである。「おごり酒は飲まない。他人の金で飲む酒はうまくない」。