肝硬変で42歳で亡くなった水原弘とちあきなおみの「夜へ急ぐ人」 (3/5ページ)
そして「サラリーマンのようにチビチビ金を貯めるようなケツの穴の小せぇことをしていちゃ、艶も花もあるもんか!」などと、毎晩、芸能人ならではの取り巻きに加え、「おミズ、おごってよ!」と声をかけてくる、見ず知らずの通行人まで引き連れて、銀座のクラブを何軒も飲み歩く。しかも「安酒」ではない。1ドル=360円の固定相場制当時、ボトルキープが1本10万円もした、高級コニャックのレミー・マルタン一筋。それを何本も空けた。更には一晩で300万、現在の貨幣価値ならば3000万円にも及ぶほど、飲み明かしたなどといった「武勇伝」を誇っていた。夜の街では「役者の勝新か、歌の水原か」と、その豪快な飲みっぷりが、常に話題になっていたという。
■美学や信念を貫き通した水原弘
だが、村松は2人の「遊び方」の違いや隔たりについて、鋭い指摘をしている。映画やテレビドラマの『座頭市』シリーズで知られる「昭和のスター」勝新こと勝新太郎(1931〜1997)の場合は、「俳優」をやっていたとしても、長唄の大御所・杵屋勝東治(きねや・かつとうじ、1909〜1996)の息子である。幼い頃から三味線の技芸を磨いてきた。それは、ただ単に「経験がある」にとどまらず、勝が得意とした殺陣の演技以上に、自身に艶や色気、迫力や深みをもたらす、「芸のふるさと」でもあった。しかし水原の『黒い花びら』は、勝の三味線のような、「芸のふるさと」となりうるものではない。歌手の宿命として、常に新しいヒット曲を出していかねばならない。それゆえ、ヒット曲の空白をカバーするための水原の豪遊と、「芸のふるさと」が常に自身とともにある「自然児」としての勝のある意味「余裕がある」ものとでは、必然的に違いが生じるというのだ。
そう考えると、ちあきの歌のように水原は、「あたしの心の深い闇の中から/おいで おいで/おいでをする人 あんた誰」と、懐疑と恐怖を抱き、堅実で健康的な「サラリーマンのようにチビチビ金を貯めるようなケツの穴の小せぇ」生き様に舵を切るべきか迷いつつも、結局は、自分の「美学」を貫くために、ムキになってあえて、「おいで おいで」について行ってしまうことになったのだ。
■「マ・ダ・ウ・タ・エ・マ・ス・カ」
1億とも言われる借金を残し、水原は亡くなった。