役者が英語を話すことも!西洋との融合を図った明治時代の歌舞伎を錦絵で見る (4/6ページ)
これは、前年に流行したスペンサーの風船乗り(気球乗り)を真似たものでした。
五代目尾上菊五郎は役になり切るために慶應義塾を訪ねて英語を習ったと逸話が残っており、大変研究熱心出会ったことが伺えます。
活歴物と九代目市川團十郎 《見立五人男》楊洲周延 明治13(1880) 中央が市川團十郎新政府の「狂言綺語(創作話)をやめる」という要求に応じて作られたのが活歴物と呼ばれる一連の作品群で、役者として活歴物の芝居の中心となったのが九代目市川團十郎(1838〜1903)です。
時代物は史実に忠実な内容にしたいと考えていた彼は、これを機会に歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥に依嘱し、内容や演出扮装ともに史実に即した新史劇を執筆させました。
団十郎自身も学術関係者や文化人と組んで時代考証を重視した演劇に取り組みます。こうした活動が、やがて活歴物という一連の演目を世に出すことになりました。