その昔「衣替え」は実は厄払いだった。季節の習慣の背後にある日本の”ケガレ思想” (2/5ページ)
更衣では夏装束と冬装束が定められていたほか、女房(貴婦人)が手に持つ扇も、冬はヒノキ製の「桧扇(ひおうぎ)」、夏は紙と竹製の蝙蝠(かわほり)と定められていました。
現代のカジュアルな衣替えと比べてずいぶん大仰な感じがしますが、実はこの「更衣」には、単に体温調節や健康管理にとどまらず、四季の変化を愛でるという目的もあったそうです。
また当時は、どうやら季節の変わり目に「ケガレ」や「厄」が溜まると信じられていたようなのです。それらを、衣類を交換することで祓ってしまおうという意図があったのです。
特に6月は梅雨の時期で、暑さ、大雨、湿気など好ましくない季節だと思われていました。
また、当時は今ほど医学が発達していなかったのもあり、人々は自分自身の体の状態についてとても敏感でした。ちょっとしたマイナスの変化があるとすぐにお祓いをしたりまじないをかけたりして、悪いモノを追い払おうとしていました。
そして季節の変わり目と言えば体調を崩しやすく、亡くなる人も多い時期。平安時代の人々が、その時期に悪いモノの存在を見出したとしても不思議ではありません。
このように見ていくと、更衣は立派な神事の一種だったということが分かります。この風習はのちに民間にも浸透していきました。
そして、鎌倉時代に入ると単なる衣服の交換にはとどまらなくなりました。扇などの身の回りの調度品も季節によって変えるようになったのです。
これがどんどんエスカレートしていきます。江戸時代になると、なんと武家は年に四回の衣替えが義務付けられました。幕府によって、ひとつのルールとして定められてしまったのです。
