若者相手に大ゲンカ…戦国大名・伊達政宗のなんとも大人げないエピソード (3/4ページ)

Japaaan

其方は曲者に似たる者なり。後には御用に立つべき者ぞ。」と褒美にて候。又七帰宅以後、正宗の側に居り候小姓を呼び出し、「主人の面を打ち候者を見ながら、差し置き候は、腰ぬけなり。」とて切腹申し付けられ候由なり。

『葉隠』巻第十より

……というエピソードが伝わっていますが、この話には元ネタがあるそうで、細川忠興(ほそかわ ただおき)の書状などによると、寛永7年(1630年)、政宗が旗本の兼松又四郎(かねまつ またしろう。亦四郎)と喧嘩したそうです。

……内藤左馬宅江伊達政宗饗宴の処に、兼松亦四郎政宗出入ありと云……

※『佐竹家譜』寛永7年庚午7月22日より

ここで言う出入(でいり、いでいり)とは喧嘩のことで、現代でもヤクザ用語として出入などと言うことがありますね。

事情はともあれ、60代で60万石以上の大身でありながら、まだ20代で700石の小身に過ぎない又四郎と同じ土俵で喧嘩を繰り広げたことは大層うわさになったようで、誰が詠んだかこんな落首が出回ったといいます。

立派な刀だが、切れ味は……?(イメージ)

政宗の 太刀は正銘 やきば(焼刃)なし せき兼松に きれはおとれり

【意訳】名刀と評判の正宗だが、どうやらきちんと焼き入れがされていないため、その切れ味は美濃国関(現:岐阜県関市。

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