若者相手に大ゲンカ…戦国大名・伊達政宗のなんとも大人げないエピソード (4/4ページ)
刃物の産地)の兼松に劣っている。
伊達政宗を名刀「正宗」にかけ、評判だけは立派だが、焼き入れされておらず芯(精神的な強さ)がないため、兼松ごとき若造(※)と喧嘩をするのだ……。
(※)兼松又四郎と言えば、織田家の猛将・兼松正吉(まさよし)が有名ですが、正吉は寛永3年(1627年)に亡くなっているため、この又四郎はその子孫が通称を受け継いだのでしょう。
「あと10年早く生まれていれば天下が獲れた」などと豪語し、伊達男として名を馳せた政宗でしたが、その残念な晩年を彷彿とさせます。
無礼な若者にも、大人の対応を心がけたい……言うは易しだが(イメージ)
昔から「金持ち喧嘩せず」と言うように、とかくつまらぬ喧嘩は避けるのが大人というもの。血気盛んな若者がどんな粗相をしたのかは知る由もありませんが、政宗の轍を踏まぬよう、余裕をもって対処したいものですね。
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年12月
原武男 校訂『佐竹家譜』東洋書院、1989年8月
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