地獄太夫の再来!?明治時代に実在した遊女“幻太夫”の凄まじい成り上がり精神【上】 (1/6ページ)

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地獄太夫の再来!?明治時代に実在した遊女“幻太夫”の凄まじい成り上がり精神【上】

今回ご紹介する「幻太夫」という遊女は一風変わった人物です。

よくドラマなどで貧乏な娘が吉原に売られていく時“毎日白い米が食べられるんだよ”というのはよく聞く台詞です。

遊郭というところは一度入ったら出ることが出来るのは、身請けされたときか死んだ時だけ。好きでもない男と枕を共にしなければならず、性病などで若くして亡くなる者も多いのです。ところが幻太夫は。。。

石川田鶴(たづ)

幻太夫の本名は石川田鶴(たづ)両親を亡くして、初め(明治十一年頃)は横浜の遊郭で遊女をしていました。美しく教養もあり頭も良かったのでしょう、大変評判が良くすぐにある資産家に身請けされたのです。

しかし田鶴が家庭に収まっていたのはわずかな間で、すぐに家を出てしまったのです。せっかく遊郭を出てお金持ちの家で生活できる身分になったのに、多少気に入らないことがあっても行く先が遊郭しかないのなら、少しは我慢して辛抱するのではないかと思うのですが。

明治十三年には、新吉原の中でも格の高い“品川楼”で遊女として働いていました。

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