刺し殺した友人の肉を…奈良時代のやんごとなき貴公子・葦原王のエピソード (2/4ページ)
こうした非行の動機は史料に詳述されていないため推測するよりないものの、恐らく正室であったろう栗前(くりくま)氏の子である池原女王に愛情が注がれ、身分の卑しい(史書に名が記録されない)母の子である自分には愛情が注がれなかった……。
とまぁ、そんな現代でもありがちな感情のこじれだったのかも知れません(後世の史料では結果から原因を導き出しがちなので、その辺りは差し引いてあげる必要があるでしょう)。
衝動的に友を刺殺し、その肉を……さて、呑んで暴れて好き放題に暮らしていた葦原王は、天平宝字5年(761年)に御使麻呂(みつかいのまろ)と呑んでいた時、談笑していたかと思ったら突如としてキレ出します。
「……○×△っ!?!」
その動機は不明ですが、ちょうど博打(サイコロ?双六?)に興じていたそうですから、恐らく負けた腹いせに「イカサマしやがって!」とか、まぁそんなところでしょうか。
「ぎゃあ……っ!」
懐中から抜いた短剣で御使麻呂を刺し殺した葦原王は、その遺体を仰向けに蹴転がすと股肉を削ぎ取り、胸板を俎板がわりにその肉塊を切り刻みました。
「これにテキトーな調味料を合わせて……と」
ズッタズタに切り刻んで気が済んだのか、葦原王は御使麻呂の肉を膾(なます)に仕上げ、酒の肴とばかりに平らげてしまいます。