ヘレン・ケラーとエマニュエル・スウェーデンボルグの神秘思想 (3/4ページ)

心に残る家族葬

サリバン先生に導かれるまでの内的世界は確かに牢獄であったろう。しかし世界に解き放たれたヘレンの内的世界には今や光が差していた。ヘレンは改めて自分自身と対話をする。そして自己の中に広がる現実を超えた霊的世界に気づいた。第二の目覚めであった。

■心の眼

元々ヘレンは視力で物を見ていたのではない。触覚で見ていたのでもない。サリバン先生に導かれ、「冷たい何か」と「W・A・T・E・R」の関係を気づくことで、心が目覚め、心で世界とコミットしたのだった。そんなヘレンは我々が眼で物を見ている故に、返って見えないものも、我々の見る物質と変わらない感覚で見ることができたのである。「眼に見えないものの存在は信じない」「自分の眼で見たもの以外信じない」という人がいるが、ヘレンには苦笑以外の何物でもないだろう。彼女にとっては、スウェーデンボルグの提示するヴィジョンも、現実世界も違いはなかった。ヘレンは言う。

「眼が見えず、耳が聞こえない者にとって、霊の世界を想像するのは難しいことではありません。大多数の人々にとって霊的な事象が漠然としていて遠いものであるのと同じように、障害をもつ私の感覚にとっては、自然界のほとんどすべての事象が漠然としていて遠いのです」

また、こうも言っている。

「ニュートンのような人が落ちるリンゴを見て自然界には万有引力というものがあると気づくときには、彼は日常の光景をはるかに超えたものを見ているのです」

宗教にしろ科学にしろ、真実の世界は肉眼では捉えきれない。ヘレンはむしろ三重苦となったことで心の眼が開かれたのである。

■スウェーデンボルグの可能性

肉体を越えた真実の世界や、自己に宿っている霊体の確信は、三重苦の苦しみが永遠のものでないことを教えてくれる。そうかといってヘレンは死後の安寧をあてにしたわけではない。「外側の生活と内側の生活との均衡を保つ」と言い、霊的な真理を、いま・ここに生きるための糧として活かしたのだった。こうしたヘレンの体験を読む限り、スウェーデンボルグの霊界論や霊魂論は、障害を持つ人、死に直面している人、親しい人を失い悲嘆に陥る人らに、大きな影響を与える可能性があるのではないか。偏見を捨てて、改めて研究されるべき人物である。

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