蘇我氏4代の墓を探る!初代・蘇我稲目(そがのいなめ)の墓は都塚古墳か?【後編】 (3/5ページ)

Japaaan

蘇我稲目の墓との説がある前方後円墳の丸山古墳。(写真:Wikipedia)

稲目は当時の朝廷首班である大臣であり、都塚古墳がたとえ規模の大きな方墳であっても前方後円墳と比べたら小さいため、その墳墓には考えられないという説です。

しかし、どうでしょうか?いま私たちは蘇我氏4代というと、大王(天皇)家を凌ぐ大権力者というイメージを持ちます。

でも、その権力は馬子・蝦夷・入鹿の2~4代で巨大化したのであり、初代稲目がそこまでの権力を持っていたかどうかは判明していないのです。事実、稲目と並ぶ朝廷首班の大連には、物部尾興が健在していました。

都塚古墳は蘇我稲目の墳墓なのか

ですから、蘇我稲目が6世後半にその本拠の南端に葬られ(都塚古墳)、続いて馬子が隣接する地に葬られた(石舞台古墳)という推測は十分に成り立つと考えられます。

そして、蘇我本宗家の権力が成熟期を迎えた蝦夷・入鹿の時代になると本拠地は南の甘樫丘付近に移動していくのです。

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