蘇我氏4代の墓を探る!初代・蘇我稲目(そがのいなめ)の墓は都塚古墳か?【後編】 (5/5ページ)
しかし、墳丘の裾部分に石積みがなされていたことは、今も現地で確認することができます。
石舞台古墳の墳丘裾部分の現状。石積みがみられる。(写真:T.TAKANO)
こうしたことから、都塚古墳(稲目墓)ー石舞台古墳(馬子墓)ー小山田古墳(蝦夷墓)という葺石を貼り付けた階段状のピラミッド型方墳を、蘇我4代の墳墓と考えることもできるのではないでしょうか。
ただ、そのためには、『日本書紀』の記述のように、小山田古墳の西側100mに位置する菖蒲池古墳が入鹿の小陵でなければなりません。
菖蒲池古墳が入鹿の真墓と判明すれば、都塚古墳ー石舞台古墳ー小山田古墳ー菖蒲池古墳が蘇我本宗家4代の墳墓となり、都塚古墳が蘇我稲目の真墓となる確率が高くなるのですが、この結論に至るにはまだまだ多くの考察が必要だと思います。
菖蒲池古墳。上段墳丘裾平坦面では礫(石)敷が判明している。(写真:T.TAKANO)
次回も「蘇我氏四代の墓を探る!」として、馬子・蝦夷・入鹿の墳墓についての考察を続けていきたいと思います。どうぞ、お付き合いください。
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