蘇我氏4代の墓を探る!初代・蘇我稲目(そがのいなめ)の墓は都塚古墳か?【後編】 (4/5ページ)

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大化の改新で倒れた蘇我入鹿の首塚と、蝦夷・入鹿父子が本拠を置いた甘樫丘。(写真:T.TAKANO)

甘樫丘の東麓からは、蝦夷・入鹿の邸宅跡とみられる遺跡が発掘され、隣接する小山田遺跡からは、一辺80mの巨大方墳・小山田古墳が発見されました。

小山田古墳からは、結晶片岩や榛原石の板石の破片が多数みつかっており、都塚古墳同様に、葺石を貼り付けた階段状の方墳であったことも考えられます。小山田古墳を蘇我蝦夷の大陵とする説も有力となってきています。

小山田古墳(右端)と菖蒲池古墳(右端)。蘇我蝦夷・入鹿父子が築いた大陵・小陵に比定する説がある。(写真:Wikipedia)

石舞台古墳の墳丘は、すでに失われています。

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