蘇我氏4代の墓を探る!初代・蘇我稲目(そがのいなめ)の墓は都塚古墳か?【後編】 (2/5ページ)
これは、発掘を担当した関西大学の米田文孝教授をはじめ、猪熊兼勝氏、千田稔氏などの著名な学者たちが揃って「都塚古墳の高い技術力、規模の大きさ、そして地域性から考えて、蘇我氏の有力者の墓に違いない」という見解を出したことに基づいてのことでした。
明日香を流れる冬野川流域一帯が、蘇我氏の支配地域であり、蘇我馬子の墳墓として有力な石舞台古墳が近いことからも蘇我本宗家の本拠南端のこの地に、蘇我氏の墓域が設けられたと考えられたのです。
一方で、都塚古墳の被葬者を稲目以外の蘇我氏有力者とする説も唱えられています。代表的な被葬者として、蘇我入鹿(河上邦彦氏)、蘇我小姉君(小笠原好彦)などの説があります。やはり、この地が蘇我本宗家の本拠であったことから、蘇我本宗家ゆかりの人物に比定する説が多いようです。
石舞台古墳。古くから蘇我馬子の墳墓と考えられてきた。(写真:T.TAKANO)
都塚古墳の被葬者が蘇我稲目ではないとする説の根拠として、稲目が没した570年当時はまだ有力者が前方後円墳に葬られていた時代であったというものがあります。