三韓王に、俺はなる!古代朝鮮で王朝独立を目指した紀大磐の野望と謎 (4/4ページ)

Japaaan

「「「えええ……っ、殿下!?」」」

灰燼に帰する大磐の野望(イメージ)

なぜ大磐が三韓王の地位を捨ててしまったのかは不明ですが、ともあれ残された左魯、那奇他甲背ら近臣300名は百済軍の逆襲に遭い、皆殺しにされたそうです。

ここまですべて顕宗天皇3年(487年)年内の出来事であり、まるで嵐のような激動の一年であったことは想像に難くありません。

エピローグ

帰国以降、紀大磐がどうなったのか『日本書紀』にも記録がなく、すべては謎のままですが、もしかしたら実は暗殺されていて、それを隠すため急きょ帰国したことにしたとか、色々と想像がはかどります。

それにしても、せっかく大磐を擁立したのに梯子を外された形で最期を遂げた左魯、那奇他甲背らが不憫でなりませんね。

なお、紀大磐には紀男麻呂(おまろ)、紀小足(おたり。男麻呂の子説もあり)という子供がおり、その血脈を後世に伝えていますが、彼らの物語についてはまたの機会に紹介できればと思います。

※参考文献:

宇治谷孟 訳『全現代語訳 日本書紀 上』講談社学術文庫、1988年6月 宇治谷孟 訳『全現代語訳 日本書紀 下』講談社学術文庫、1988年8月 坂本太郎ら監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、2010年11月 藤原彰 監修『コンサイス日本人名辞典』三省堂、2001年9月

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