これは驚き!江戸時代初期の蕎麦は、茹でずに蒸していたんだって (2/5ページ)
「むしそば切」の代金を踏み倒そうとした男
今は昔、武家の中間(ちゅうげん。下人)らしき男が浅草諏訪町(現:東京都台東区駒形)あたりを通りがかった時、蕎麦屋の呼び込みが聞こえました。
「蒸籠むしそば切、一膳七文」
そう言えば腹が減っていたので、一つ食って行こうと財布を確認したところ、銭がわずか十四、五文しかありません。
これでは二膳しか食えませんが、細かいことは寄ってから考えようと思ったのか、暖簾をくぐるよりも早く蕎麦の御膳が出てきました。
(品数が一種類しかないのでしょうか、いかにせっかちな江戸っ子も、これなら文句のつけようがありませんね。でも、そんなに早いということは、ほぼ作り置きな訳で……)
「美味い!」
あれよあれよと気づけば四膳も平らげており、これで代金は二十八文。改めて身の回りを探してみても、やはり他に銭はなく、手持ちは変わらず十四、五文。
(食ってしまったが銭は足りない……さぁ、どうしたものか)
よし、こうなったらと男は肚を決めて酒を追加で注文します。量り売りなのか、二十四文ぶんと酒を注文してこれも呑み干しました。これで合計五十二文。