地味だけれども優れた二代目。北条義時・足利義詮・徳川秀忠の資質とは? 【後編】 (3/6ページ)
(写真:Wikipedia)
室町幕府全盛期の礎を築いた二代目・足利義詮
室町幕府二代将軍・足利義詮。その生涯を戦乱の中におくったが、内政面でも優れた資質を発揮した。(写真:Wikipedia)
建武の新政を行う後醍醐天皇を吉野に追い、室町幕府を開いた足利尊氏の嫡男として、二代将軍に就いたのが足利義詮でした。
しかし、義詮はあまりにも地味過ぎて、ほとんどの教科書にその名前すら記されていません。息子の三代将軍義満が、北山文化・勘合貿易・南北朝合一と華やかすぎるほどの功績を記されているのとは正反対の人物です。
では、義詮は何もしなかったのでしょうか。いやいや、それどころか義詮がいたからこそ、室町幕府の礎ができあがったのです。
室町幕府ほどその成立期において不安定な政権はありませんでした。吉野に逃れた後醍醐天皇は南朝を開き、南北朝の戦いが起こります。それに、尊氏の弟直義と尊氏の抗争が絡み、観応の擾乱として全国規模の大内乱に発展していきました。
そんな中、尊氏が戦いで受けた矢傷がもとで死去し、幕府の有力武将である二木氏・細川氏・畠山氏が離反します。義詮自身も南朝に京都を奪われてしまいました。普通なら、ここで室町幕府は終わっていたはずですが、ここから義詮の優れた資質がものを言い出すのです。