目黒の五百羅漢寺の羅漢像を彫り上げた松雲元慶に影響を与えた笵道生 (2/5ページ)
それから2年後には、50体の羅漢像を完成させ、開眼法要に至ったのである。
■松雲元慶が影響を受けたという中国人仏師・笵道生
上野公園内の西郷隆盛像(1897年)で知られ、日本における近現代彫刻の父と称される高村光雲(こううん、1852〜1934)が修行時代、本所にあった頃の五百羅漢寺に通い、自らの手本にしたとされ、なおかつ東京藝術学校(現・東京藝術大学)の教授だった時には、学生に参考にするよう指導していたという松雲の羅漢像だが、独力で成し遂げたものとはいえ、明代の中国人仏師・笵道生(はん・どうせい、1637〜1670)の作風に強い影響を受けているという。
■中国人仏師・笵道生とは
笵道生とは、福建省南部の泉州(せんしゅう)出身で、父も仏師だったというが、1660(万治3)年、25歳のときに、今日「長崎四福寺」の一寺に数えられる黄檗(おうばく)宗の福済寺(ふくさいじ)に、寺主で道生同様、福建省泉州出身の蘊謙戒琬(うんけん・かいわん、1610〜1673)の招きで「仏師」として来日した。残念なことに、昭和20(1945)年8月に投下された原子爆弾によって消失してしまったが、そこで「韋駄天(いだてん)像」などを制作したという。それから3年後、福建省福州出身で、日本に黄檗宗をもたらした高僧・隠元隆琦(いんげん・りゅうき、1592〜1673)が1661(寛文元)年に京都・宇治に開いた萬福寺(まんぷくじ)に招かれ、道生は「隠元隆琦像」(1663年)や「十八羅漢像」(1663〜1664年)などを制作した。
萬福寺は1年間の短い滞在だったとはいえ、大胆かつ、柔らかくも人間臭さに満ちた作風だったことから、道生はその名を一気に挙げた。しかも道生がつくったものは、ただ「奇抜」「物珍しい」だけではなかった。