裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【西軍編】 (2/7ページ)
ほぼ主力に近い数の兵を従えていましたが、知っての通り秀秋は西軍から東軍へ離反。
これにより有利だった西軍は総崩れとなり、東軍の勝利で幕を閉じました。
関ヶ原の戦いで東軍勝利に一役買った秀秋は、その戦果として宇喜多秀家が所有していた岡山領55万石を加増されました。
しかし、秀秋は慶長7年(1602)に急死。秀秋の養子先だった小早川家は後継ぎがいなかったことにより、断絶しました。また有していた土地も改易となりました。
訳アリで東軍に参加できなかった脇坂安治2人目は脇坂安治です。
安治は関ヶ原の戦い前に徳川家康率いる東軍に加担する内容の書状を送り、家康もそれを理解していました。しかし、石田三成が挙兵したため、大坂にいた安治はやむを得ず西軍として戦いに参加しました。
戦いの最中、秀秋が東軍に寝返ったことを機に安治も離反。戸田勝成の部隊を壊滅させました。
戦後は事前に家康の味方することを書状で述べていたことを配慮し、お咎めなく所領安堵。その後は元和元年(1615)に家督を次男に譲り、寛永3年(1626)に病死しました。
織田信長を助けたことのある朽木元綱3人目は朽木元綱(くつき-もとつな)です。
元綱は2歳で家督を継承し、元亀元年(1570)での金ヶ崎の退き口で織田信長の撤退を助けた武将です。