裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【西軍編】 (3/7ページ)
この撤退は朽木越えと言われています。
関ヶ原の戦いの際、元綱は藤堂高虎に東軍へ寝返る調略を受けていました。そして、秀秋に呼応して東軍へ加担。
戦後は内通する意思をはっきりさせなかったため、減封処分を受けました。しかし、減封されたものの、所領は豊臣家に仕えていた時と変わらないため、実質的に所領安堵といえます。一説では、元綱は関ヶ原の戦いに参加していなかったと言われています。
その後は元和2年(1616)に出家し、寛永9年(1632)に亡くなりました。
大名でしたが、小早川秀秋の与力だった赤座直保4人目は赤座直保です。
直保は父とともに朝倉家に仕え、滅亡後に織田信長、豊臣秀吉と主君を変えた武将です。天正18年(1590)での忍城の戦いの功績により、越前国(現在の福井県北部)今庄2万石を所持していました。