裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【西軍編】 (5/7ページ)

Japaaan

平塚為広/Wikipediaより

しかし、裏切る意志を戦いの前に明確にしなかったことを家康に咎められ、死罪を言い渡されます。幸いなことに、東軍で功績を残した親族の一柳直盛の助けで、祐忠は死よりも軽い改易を言い渡されました。

死罪という重い刑を言い渡されたのは、祐忠自身が素行が悪かったこと、石田三成と親しい関係だったことがあげられます。その後は京都で隠居しました。

主家のための裏切りが仇に出た吉川広家

最後に紹介する人物は吉川広家です。

吉川広家/Wikipediaより

広家は関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わることを確信していたため、主君の毛利輝元が西軍の総大将になることを拒否。

同じ毛利家の人間で輝元を総大将に押す安国寺恵瓊と対立しました。

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