裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【西軍編】 (6/7ページ)
埒が明かないと判断した広家は、独断で家康と密約し、内通する代わりに毛利領安堵を取り付けました。
そして、関ヶ原の戦い本戦での広家は密約通りに兵を動かさず傍観。広家が動かないと兵を動かせない毛利秀元や長曾我部盛親の動きを抑えました。
この時、広家は「兵たちに食料を食べさせているから動かせない。」と言ったことから「宰相殿の空弁当」と名付けられています。
関ヶ原の戦いは東軍の勝利で終わり、密約通り毛利領安堵が約束されるかと思いきや、毛利領が改易される事実を耳にしました。これに広家は毛利家を残す代わりとして、自分自身も毛利家と同じ罰を与えてほしい内容の起請文を家康に送ります。
広家の嘆願のおかげで、毛利領は減封処分を下されました。
広家も14万石あった領地が3万石に減封。それに加えて、毛利家からは冷遇されることになります。