その恩義をいつまでも…飢饉にあえぐ領民を命がけで救った戦国武将・一色輝季 (3/4ページ)
「さぁ、みんなで食って生き延びるのだ!」
「ありがてぇ、ありがてぇ……」
30年も流浪の身でありながら、領主としての誇りと使命を忘れなかった輝季の姿に、領民たちはさぞや心打たれたことでしょう。
恩義を忘れなかった領民たちしかし、いくら人助けのためとは言っても罪は罪であり、翌元和7年(1621年)に捕らわれた輝季は処刑され、その遺体は利根川に流されてしまいます。
「謀叛人を弔ったことが見つかれば、打ち首は免れまいが、ここで一色様を見捨てたら、俺たちは犬にも悖る」
とまぁそんな心意気の領民たちが輝季の遺体を収容して密かに埋葬。そして元禄14年(1701年)、輝季の没後80年の記念に「南無阿弥陀仏」とだけ刻んだ墓石を建てました。
そして明治時代に入り、ようやく徳川の世が終わったので、今さら謀叛人だ何だと咎められることもあるまいと一色神社(茨城県五霞町)を創建。