その恩義をいつまでも…飢饉にあえぐ領民を命がけで救った戦国武将・一色輝季 (2/4ページ)
「勝敗は武門の常、強き者に従(したご)うて民を安んずるは理の当然ぞ……」
父や兄弟らは徳川家に降伏しますが、それを潔しとしない輝季はただ一人で落ち延びて葛飾郡川妻村(現:茨城県五霞町)に潜伏。捲土重来の機会を虎視眈々と狙ったと言います。
この間、松平家は下総国葛飾郡関宿(現:千葉県野田市)に2万石を拝領し、後に4万石に加増。後に関宿藩(せきやどはん)と呼ばれました。
そして、30年の歳月が流れた元和6年(1620年)。利根川が氾濫を起こして飢饉が発生、領民たちは塗炭の苦しみに喘いだと言います。
「このままではみな飢え死にだ……かくなる上は、年貢米を奪うよりあるまい!」
一度この地を治めた以上、最期まで民を守り抜いてこその領主である。そう思い決めた輝季は関宿藩の年貢米を強奪。これを領民らに分け与えて飢えをしのいだのでした。