今は「島原の乱」とは呼ばれていない!日本史上最大の内乱の知られざる実態とは!? (2/5ページ)
非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【前編】
たまりかねて農民たちは蜂起します。これが「島原・天草一揆」です。ここまでの内容を見れば分かりますが、この蜂起は今までよく言われてきたようにキリスト教徒が主体だったのではなく、圧制に苦しめられた農民たちによる一揆だったのです。
農民、キリシタン、浪人、そして天草四郎キリスト教徒も農民も、圧制者への反抗という目的が一致したんですね。彼らは、武士身分から百姓身分に転じていた旧有馬氏の家臣の下で組織化されます。中には、幕府による大名家の取り潰しで職を失った浪人も含まれていました。武装集団はどんどん数を増していきます。
さて、この反乱で最も有名なのが天草四郎でしょう。
総大将は16歳の少年キリシタン。悲しき運命に翻弄された「天草四郎」の実像【前編】ほとんど伝説的な少年です。言い伝えではものすごい美貌だったとか、盲目の少女を治したとか、水の上を歩けたとか、ハトが手の平に下りると卵を産んだとか、実は豊臣秀頼の子息だったとか。