今は「島原の乱」とは呼ばれていない!日本史上最大の内乱の知られざる実態とは!? (3/5ページ)

Japaaan

天草四郎像

西欧では、キリストやそれに連なる聖者たちもことごとく創作話によって伝説化していますが、天草四郎もそのような存在でした。

彼が生まれたのは1621年、現在の熊本県天草市です。父親はキリシタン大名だった小西行長の家臣・益田好次でした。天草四郎は、元服後は益田時貞と名乗っています。

益田家は江戸時代は農民の身分に転じていましたが、もともとは武士だったので経済的には裕福で、四郎も高い教養を身につけていました(もっとも四郎の幼い頃の話はほとんど不明なのですが)。

四郎が生まれた頃、天草・島原の人々は飢饉・重税・弾圧に苦しめられていました。そんな中、宣教師の一人が「25年後の天変地異にあわせて16歳の神の子が現れる」と予言します。

農民たちは、四郎こそがこの「神の子」だと信じたとされています。そんな予言を皆が本当に信じたかどうかは分かりませんが、そんな背景もあって、四郎は16歳にして一揆の総大将・シンボルに祭り上げられました。

籠城戦の果てに…

3万7千人の一揆勢は原城で3カ月間、籠城します。この時12万余りいた幕府軍はオランダから助けを得ており、それを知った四郎は、内戦に外国勢力を利用するのは卑劣だと非難する矢文を送っています。これがその一節です。

かくの如き仕合せ、いささかもつて邪路にあらず候。然らば海上に唐舟見え来り候。

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