図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード (2/4ページ)
今回は平安時代、そんなちょっとしたキッカケから途方もないスケールの居候となってしまった、とある武士のエピソードを紹介したいと思います。
ちょっと寄ってけ20年!?源氏累代の家人として保元・平次の乱で活躍した佐々木秀義(ささき ひでよし)は主君・源義朝(みなもとの よしとも)が敗死した際、所領の近江国蒲生郡佐々木荘(現:滋賀県近江八幡市)を追われました。
「奥州(現:東北地方)まで逃げ延びれば、平家の追手も来られまい……」
遠路はるばる逃げる道中、相模国高座郡渋谷荘(現:神奈川県大和市)へたどり着くと、そこの荘司(荘園の領主)である渋谷重国(しぶや しげくに)が秀義一家を迎えてくれます。
「まぁ、先の戦さ(平治の乱)では源平の敵味方であったが、窮鳥の懐に入(い)るを射られぬゆえ……」
けっきょく容(い)るのか容(い)られぬのかどっちなんだ……というダジャレはさておき、いざ酒など酌み交わしてみると、両者アッサリ意気投合。