図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード (4/4ページ)

Japaaan

後に頼朝公の忠臣として大活躍の佐々木高綱。大塚春嶺『宇治川先陣争図』

「ちったぁ父親の立場も考えてくれよ!」と言いたくなりそうなものですが、その父親からしてちょっと20年ばかり居候しているご身分ですから、あまり強くは言えません。

後に、同じく相模国に勢力を張る平家方の大庭景親(おおば かげちか)から

「オイ佐々木の。佐殿(すけどの。頼朝公の通称)の挙兵計画が平家当局にバレそうだぞ。伊豆に出入りしている息子たちに気をつけさせろ」

的なことを言われてしまっているあたり、日ごろよほど敵も味方もナァナァでやって来たかが察せられます。

よくも悪くも、実にアバウトな時代だったようですね(流石に20年の居候という事例はそうそうなかったでしょうが……)。

※参考文献:

細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月

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