図々しすぎる!「ちょっと」で20年も居候、源頼朝の挙兵を待ち続けた佐々木一族のエピソード (3/4ページ)

Japaaan

「どうせ急ぐ旅でもあるまいし、たとい追手が来ても当家で匿ってやるから、もう少しゆっくりして行ったらどうか……」

「さぁさぁもっと呑んで呑んで……」「は、はい……」重国の歓待を受ける秀義(イメージ)

立場の弱い秀義一家とすれば、せっかくの好意を断って敵に回す訳にも行かず、一晩もう一晩と連泊を重ねるうち、気づけば20年の歳月が流れていたそうです。居候する方もさせる方も尋常の神経ではありません。

20日じゃなくて20週、20カ月でも十分長いですが、泊まりも泊まったり20年。生まれた子供が成人式を迎えてしまうほどの時間、実際に秀義は重国の婿となり、現地で5人目の子供・佐々木義清(よしきよ)が誕生しています。

恩を仇で返す!?敵方に奉公する息子たち

しかも4人の息子たち、佐々木定綱(さだつな)、佐々木経高(つねたか)、佐々木盛綱(もりつな)、佐々木高綱(たかつな)のいわゆる佐々木四兄弟は、当時伊豆国で流人暮らしをしていた源頼朝(よりとも)公の元へせっせと通勤していたと言うではありませんか。

平家方の御家人である渋谷重国に飯を食わせてもらいながら、平家当局によって罰せられた源氏の流人に奉公する子供たち。

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