国際連盟脱退も、実は日本は「孤立」していなかった!?松岡洋右「堂々退場」の本当の理由とは (3/4ページ)

Japaaan

1932年、満州事変について国際連盟で演説する中国代表団(Wikipediaより)

そして日本全権団の松岡洋右は「さようなら」と言って「堂々退場」したと、当時の新聞ではなんだか勇ましくカッコよく報道されました。表面的なところだけ見ると、確かに日本と国際連盟がケンカして日本が椅子を蹴って飛び出したようにも見えます。しかし実際は全然違っていたのです。

日本が国際連盟の各国から「非難勧告」を受けること自体は問題ではありませんでした。それで規約に何か違反したことになるわけでもないし、除名や経済制裁も受けません。日本としては「諸説あります」「皆さんとは見解が違います」と不服を申し立てる形で意見を述べれば済む話でした。

実際、松岡も当初はそうする予定で、もともとチェコスロバキアやイギリスに根回しをして国際連盟に残れるようあれこれ手を打っていました。

彼ら日本全権団は、非難勧告が決議されたからと言って別に「堂々退場」せずとも、とにかく会議は終わったのだから普通に帰ればよかったのです。それなのになぜ、脱退を宣言して「堂々退場」したのか。

ひとつ重要なのは、この「非難勧告」を受けた国が、それを理由として何かしらの軍事行動に出た場合は、これは規約違反と見なされて経済制裁を受ける可能性があったという点です。

日本にはこの時、最悪のタイミングで今にも軍事行動を起こしそうな人たちがいたのです。中国に駐留して、満州国建国をやってしまった関東軍です。彼らはちょうどこの頃、中国内の抵抗勢力(匪賊)のいる熱河地方を軍事的に制圧することを目論んでいました。「熱河作戦」です。

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